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フリギア王国(Phrygia)


ヒッタイト帝国
の栄える紀元前1200年頃、海の民(海人)と呼ばれる多くの移民者達が中央アナトリアに侵入しヒッタイト帝国を脅かしアナトリアを征服しはじめました。その中の一民族はバルカン半島あたりからマルマラ海を通って侵入してきたフリギア人と言われ、次第に中央アジアで勢力を伸ばし独立国を作りはじめました。

(写真はゴルディオンにあるミダス王の古墳)

フリギア王国についての詳細は明確なものではありませんが、ミダス王の時代についてはいくつかの事実が明らかにされています。紀元前1000〜600年頃栄えたフリギア王国の最盛期時代を作ったのがミダス王で、紀元前738(725?)〜696年頃ゴルディオン(Gordion、アンカラの西106km、現在のエスキシェヒル)を首都としてフリギア王国を統括していました。フリギア王国はゴルディオン(エスキシェヒル)を中心にカッパドキア地方、アンカラ、アフィヨン(Afyon)、ハットゥシャ(Hattusa)を重要な街として栄えていました。

当時アッシリア人やギリシャ人達は次第に勢力を伸ばすフリギア王国に脅威を感じるほどでしたが、これもキムメリオス人の進撃によりミダス王が自殺、フリギア王国は一気に衰退してしまうこととなりました。その後フリギア王国の領土のほとんどはリディア人により支配されることとなりました。

ゴルディオンには高さ53m、幅300mのミダス王の古墳(写真上)が作られ、そこには6.2mX5.15mの埋葬部屋があり、ミダス王の骨と共に166のブロンズ製埋葬品(写真右側、アンカラのアナトリア考古学博物館所蔵)が置かれていました。ヤズルカヤ(Yazilikaya)はミダスシェヒル(Midas Sehir)と呼ばれ、ミタ神殿(写真左側)と呼ばれる高さ17mの岩の壁面に神々が刻まれた遺跡が残されています。その他アフィヨンでも同様の神殿を見ることができます。


フリギア人の文化は主にヒッタイト帝国とギリシャのものを受け継ぎ、特に音楽はギリシャ音楽の手本になったといいます。言語はインド・ヨーロッパ語族に属しフェニキア人のアルファベットのもとを作ったと言われています。又、経済は農業を中心に営まれていました。宗教は2人の神を崇拝するもので1人は自然、特に山の女神として知られるカイベレ(人間の容姿をしベルト付きの長いスカート、円筒型の長い帽子を身につける女神でギリシャ神話ではシベル又はレア)、もう1人は空の神として知られるサバジオスでした。



カテゴリー: トルコ共和国 − 歴史 − フリギア王国


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