JP−TR / 日本−トルコ
  
トルコの観光・伝統文化の総合サイト




HOME


各地の天気

レート

話題のニュース


トルコ共和国

観光

生活習慣

生活

人生

伝統習慣

暦(記念日等)

グルメ


伝統

その他

管理人

ひとりごと
(日記/エッセー)

satomi_antalyaをフォローしましょう

プロフィール



エフェソス(又はエフェス)/セルチュク(Selcuk)観光

*「エフェソス/セルチュク周辺案内地図」はセルチュクコンテンツをご覧ください。



エフェソス古代都市遺跡(Efes Antik Sehiri)











アナトリア(小アジア)で最も重要な都市として栄え、エーゲ海、地中海沿岸地域で最もよく保存されているとされるエフェスの遺跡は、エーゲ海観光のハイライトとも言われています。

セルチュク(Selcuk)の街から約3kmに位置。観光には最低2〜3時間所要。時間に限りがある方には、イスタンブールからイズミールに飛行機を利用した1日ツアーもあります。
遺跡の詳細は「エフェソス古代都市遺跡」をご覧ください。


アルテミス神殿(Artemis Tapinagi)




 

 

 
古代世界の七不思議とされるこの神殿は、紀元前8世紀頃ゼウスとレトの娘で豊穣と多産の神として知られるアルテミスを奉るために127本の柱を持つ55x115mの神殿として建てられました。

現在この地には1本の柱が復元されているのみですが、近くのエフェソス博物館に2つのアルテミス像が展示されています。又、一部の柱はロンドンの大英博物館に所蔵されています。(上記写真左は現在の様子、右は当時の想像図)



聖母マリアの家(Meryem Ana Evi)









聖ヨハネの福音書によると、イエスキリストが十字架に磔される時、使途である聖ヨハネに母マリアを托したとされています。イエスの死後、聖ヨハネと聖母マリアはエフェソスの地を訪れ、ナイチンゲール山に聖ヨハネが作った家で生活し、聖母マリアはその最期をここで終えました。毎年8月15日にはバチカンからの代表者がここを訪れ参拝します。




聖ヨハネ教会(St.Jean Kilisesi)












イエス キリストの12使徒がエルサレムから追放された後、イエスの母マリアと共にこの地に赴き、西暦37〜42年頃にはエフェスからアナトリア(小アジア)に布教の旅を続けていたと言われています。

聖パウロの殉教後、福音書を書きつづけた聖ヨハネの死去、遺言によりアヤスルク(Ayasuluk)の丘に埋葬され、その後、西暦6世紀ユスティニアヌス皇帝により墓の上にバジリカ建てられ聖ヨハネ教会となったもの。西暦7〜8世紀にアラブ人達が侵入してきたことにより、この周辺に要塞が築かれました。





アヤスルクの要塞(Ayasuluk Kalesi)











アラブ人の侵入を防ぐためにビザンチン時代に作られた要塞でその後セルジュクオスマン帝国時代に補強されたもの。南と東に門、15の塔が作られました。





セブンスリーパーの洞窟(Yedi Uyuyanlar Magrasi)












伝説によるとローマ帝国デシウス皇帝の時代に迫害された7人の若者がこの洞窟に逃げ込み、眠りつづけて目覚めるとすでに200年が経っており、キリスト教が認められる時代になっていたというもの。

1920年代の発掘によりこの地に教会と多くの墓が発見され、その墓銘には7人の若者に関する記録が多く残されており、長年の間多数の信者達がこの7人の若者達のもとで埋葬されたいと思いここに墓が建てられたと考えられています。マグダラのマリアもここで埋葬されたと言う説も残されています。





エフェソス博物館(Efes Muzesi)












エフェス遺跡や聖ヨハネ教会をはじめとする周辺の貴重な遺跡が展示されたトルコでも重要な博物館。ミケーネ、ヘレニズム、ローマ、ビザンチン等、年代と通しての遺跡も多く展示されています。アルテミス像、エロスの頭、いるかに乗ったエロス、ソクラテスのフレスコ等、世界でも有名な出土品があります。

8:30〜12:00、13:00〜17:30(月曜休み)





水道橋(Su Kemeri)










東からアヤスルクの丘を結ぶビザンチン時代の水道橋。セルチュクのシンボルでもあるコウノトリの休息地としても知られています。




カテゴリー: 観光 − 都市別情報 − イズミール&エフェソス − エフェソス/セルチュク

 


HOME



©Copyright 2004 JP-TR