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オイルレスリング/油相撲(クルクプナル レスリング)

  身体に油を塗った状態で相撲を取るという油相撲(オイルレスリング)は、約650年前にエディルネで国技として始まったクルクプナル レスリングとして知られています。トルコ語では、ヤール ギュレシュ(Yagli Gures)とも言われています。


ゲーム内容


 身体中にオリーブオイルを塗って相手につかまれにくいような状態にした上で試合に挑みます。 1年のうち約8ヶ月間が競技シーズンです。

ルールはいたって簡単で、相手を倒せば勝ちというものです。オリンピックのレスリング競技では相手のレスリングスーツを握ることは反則とされていますが、油相撲ではキスベットと呼ばれる皮製のパンツに手や腕を入れてもかまいません。ちょうど日本の相撲で「まわし」に手を入れるよう試みるのと同じで、キスベットも強く締められているため手や腕を入れることは困難ですが、それでもうまく手を入れられれば相手を倒す近道となります。

当初、時間制限はありませんでしたが、1975年以降制限時間が設定されました。一般の試合では30分間の制限時間でその間決着がつかなければ10分間延長後スコアによる勝者決定をします。最終段階の優勝戦では45分間の制限時間があり、もし決着がつかなければ15分間延長し、そのスコアにより優勝者を決めます。
      

ペーリヴァン

 競技者のことをペーリヴァンと呼びます。

「勇気」をあらわすペルシャ語が使用されています。しかしこの単語には他にたくさんの意味があり、例えば役人、肉体的に大きく立派な人や真実を告げる人などという意味も含みます。

歴史上、勇敢な兵士、手柄を立てた射者などもペーリヴァンと呼ばれていたことから、油相撲のレスラー達を尊敬の意味を込めてペーリヴァンと呼ぶようになりました。

バシュペーリヴァン

 ペーリヴァンの中でも最も強い人(優勝者)をバシュペーリヴァン(バシュ=頭)と呼びます。

 
 

クルクプナル油相撲大会に参加するためには各所で開催される油相撲大会のバシュペーリヴァン達が集まります。

毎年7月に3日間開催されるクルクプナル油相撲大会の最終日にはトルコの大統領も見学し、優勝者に金のベルトを与えます。

エディルネ
市は子羊をかけてオークションを開き、最も高く値をつけた人が翌年のアー又はアガと呼ばれるスポンサーとして任命されます。

ペーリヴァンにとってクルクプナルで優勝することは最も名誉なことなのです。
       
《写真右》
アーとバシュペーリヴァンに贈られる金のベルト


歴史


 油相撲の歴史は古く、紀元前2650年の油相撲を取るバビロニアのブロンズ像が有名です。又、エジプトの壁画においても油相撲を取っている様子が描くエジプトの壁画が発見されています。油相撲はエジプトやペルシャ近辺で娯楽として楽しまれていたようです。

トーナメント競技としては紀元前1065年にイランで始まったと考えられています。その後ギリシャやローマ帝国の支配により油相撲は広く競技されるようになりました。

 1346年、オスマントルコ帝国スルタン・オルハン ガジに率いられた軍隊は、スレイマン パシャを中心に当時ビザンチンの手中にあったドムズヒサル(ドムズ要塞)を襲撃し征服、その後も次々といくつかの要塞を征服し、40人の前衛部隊は帰還の途につきました。

途中サモナ(現在はギリシャ領)で休息を取り、そこでその頃の習慣として油相撲を取り始めたのです。試合の最後になり、アリとセリムという二人の兄弟対決となりました。しかしどちらも負けず劣らず非常に強く、全く決着がつきません。夜を徹して試合は続行されましたが結局兄弟は生きを切らし体力が尽きて死んでしまいました。

 二人が死んだその場所に友人達はイチジクの木を植え、スレイマン パシャによって勝者に贈られると約束されていた皮のパンツの絵をその木に刻んで葬りました。数年後彼らがその場所を再び訪れるとそこに輝く泉を見つけました。そしてその周辺にはいくつもの泉が湧いていたのです。そこで彼らはその地をクルクプナル(クルク=40、プナル=泉)と名付けました。もともとの部隊の人数40人をいつまでも記憶させておくために40と言う数字を付けたのです。

 オスマントルコ帝国時代、油相撲の試合は各地で行われていました。宮廷で俸給を受けるために行われていただけでなく、庶民の間でも結婚式の時、断食期間中や単なる娯楽として親しまれていたようです。 しかしその中でも最も大きく毎年の行事として開催していたのがクルクプナルでの大会です。 油相撲は最長開催記録としてギネスブックにも掲載されています。

バルカン戦争と代一時世界大戦の終わり頃、クルクプナルの油相撲はエディルネで開催されるようになり、地主達によって競技を組織化させ、客をもてなし勝者に賞を贈るという習慣がありましたが、経済的困難から少しずつ競技が縮小されてしまうようになりました。しかし、1928年トルコ赤十字と子供保護協会により油相撲競技会が引き継がれ伝統が守られることとなり、1946年にはエディルネ市長によりクルクプナル油相撲大会としてエディルネの正式な町の競技であると宣言し、トルコで最も由緒ある大会として現在に至ります。



カテゴリー: 伝統 − 伝統競技 − 油相撲(オイルレスリング)


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