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11月10日「アタチュルク追悼の日及びアタチュルク週間」
(Ataturk‘u Anma Gunu ve Ataturk Haftasi)

                    


トルコ共和国建国の父、アタチュルクは1938年11月10日に逝去。これにより、毎年11月10日はアタチュルクを追悼する日とし、11月10日から16日までの1週間をアタチュルク週間として定められました。





アタチュルクの最期

国民のための民主主義国家、政権分離とする近代国家を目標としてトルコ共和国を建国することに貢献し、トルコ共和国初代大統領として死去するまでの15年間をトルコ共和国のために生涯を捧げた偉大なる指導者アタチュルク。

彼の健康状態は1937年の中頃から不調となり始めましたが、死の直前まで祖国の問題について一時も遠ざかることなく病床からも指示をし続けたと言われています。11月8日18時30分に2度目の昏睡状態に陥り、結局2度と目を覚ますことはありませんでした。彼の最後の言葉はゆっくりとした口調で「何時ですか?」。

そして彼は1938年11月10日午前9時05分、イスタンブールのドルマバフチェ宮殿にて生涯を終えました。死因は肝硬変。現在も尚、ドルマバフチェ宮殿の全ての時計は9時05分を指したまま止められています。

11月16日、トルコ国旗をかけられたアタチュルクの棺はドルマバフチェ宮殿の大広間に安置され、三日三晩、全国からやってきた国民達が絶えることなく涙ながらの参拝で溢れました。

11月19日午前8時10分、トルコ語による4分間の祈りの言葉の後、棺は12人の将官の肩にかつがれドルマバフチェ宮殿の門を出発し、特別車によりギュルハネ(Gulhane)公園へ移動。そこから装甲艇によりイズミット(Izmit)へ向い、特別列車により翌日首都アンカラまで運ばれました。2代目大統領に選ばれたイスメト イニョニュ(Ismet Inonu)、全大臣、全議員、参謀大臣等が迎える中、遺体は国会議事堂に用意された棺に安置。そしてアンカラ市民達も参拝のために絶えることなくアタチュルクの遺体に涙を流すのでした。

11月21日、数万人の人々の見守る中、葬儀がしめやかに行われ、遺体はアンカラの民族博物館(Etonogragya Muzesi)に埋葬。











その後、壮大なるアタチュルク廟が完成し、死後15年目の命日となる1953年11月10日、遺体は民族博物館からアタチュルク廟に奉られ、今も彼はそこで永遠の眠りについています。


アタチュルクの命日

彼の逝去した時間にあたる11月10日午前9時05分、ラジオやテレビから流れる合図や役所から響くサイレンにより、トルコ国民は1分間の黙祷をします。海からは船の汽笛が鳴り響き、空からは空砲の音が聞こえてきます。道行く人々はその場に立ち止まり、車からはクラクションが鳴らされます。この瞬間トルコ中がアタチュルクを亡くした悲しみを分かち合い、彼の功績への感謝の気持ちを表するのです。


追悼式

アンカラのアタチュルク廟において、9時05分、棺に花輪が捧げられます。大統領を始めとして各、大臣達が参加の中、アタチュルクを追悼する式典が行われます。

又、アタチュルクが死去したドルマバフチェ宮殿の「アタチュルクの部屋」では、部屋に花が飾られ公開されます。(右の写真はドルマバフチェ宮殿の「アタチュルクの部屋」)

その他、各都市、各地方の広場やアタチュルクに関連する建物では、9時05分の合図とともに様々な追悼式が行われます。


アタチュルク週間

アタチュルクが逝去した11月10日から16日までの1週間をアタチュルク週間とし、アタチュルクの生涯や愛国心、改革や法律などが学校や公的施設他各所で語られます。ラジオ・テレビでは、アタチュルクの演説のテープが流されたり、アタチュルクに関する特別番組や映画が放送されます。又、アタチュルクが好んだ歌を集めた番組や彼の好きな詩の朗読も行われます。


カテゴリー: 生活習慣 − 暦(記念日等) − 11月10日


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